夫を殺したジャクリーヌ•ソヴァージュさんに恩赦。

 2016年3月25日付ブログ「家庭内暴力地獄」で書いた、47年間夫のDV(家庭内暴力)と娘に対する近親姦に耐えられず夫を背後から銃殺し、2012年に10年の禁固刑が下されたジャクリーヌ•ソヴァージュさん(69歳)に12月29日、オランド大統領が就任中最後の恩赦を与え、彼女はその日に釈放された。この1年間に 80万人以上がソヴァージュさん釈放の署名運動を繰り広げた。この恩赦に広範囲の政界人や市民が拍手を送っている。

7月に懲役の保安期間(恩赦不適用期間)の恩赦願いを彼女の弁護士と二人の娘が出し、オランド大統領がそれを恩赦したが、刑罰執行裁判所は「犯行の重大性に対する罪悪感の不在」という理由で、夫を殺したことを悔いていないため恩赦願いが脚下された。11月24日パリ控訴院も同様の判決を下した。オランド大統領のソヴァージュさんへの2度目の恩赦が実現したことになる。

しかし、2012年オランド大統領は就任する前に、大統領による恩赦(grâce)と大赦(amnistie)を廃止すべきとしたが、着任以来、実現していない。それゆえ今回の恩赦に対して司法界は、大統領の決断を三権分立の侵害として批判の声もなきにしもあらず。

4年半の間にオランド大統領が恩赦した受刑者はこれで2人目。前者は、1975年パリ7区の銀行強盗犯エル•シュナヴィ(59歳)。彼には1977年に終身刑が下された。13回の判決で懲役期間が、最高齢の服役者として78歳の2032年まで続く予定だったが、大統領の恩赦で2013年3月27日に釈放された。

大統領による恩赦とは、14 世紀の王が持っていた特権にさかのぼり、1350 年からは重要な宗教的祝祭に際して一般にも適用されるようになったという。1957年第五共和国憲法の17条に明記される。恩赦による集団減刑、放免は1990年代までは種々の罰金刑にまで及んだが、07年大統領に就任したサルコジ大統領がその廃止を主張し、憲法改正により08年7月に廃止された。それまでは7月14日の革命記念日に恩赦が発表され、服役者数削減のため3000〜4000人に恩赦が与えられていた。しかしながらサルコジ大統領は任期中に汚職などにまつわる政財界人受刑者を含む27人に恩赦を与え、恩赦を乱発した。

ここで恩赦と大赦を混同しないように。恩赦は、すでに刑罰が確定した服役者への大統領による減刑か放免のことだが、罪状は前科として永遠に残る。一方、大赦は国民議会での採決が必要で、罪状を抹消し無罪にすることで、前科として残らない。例えば68年五月革命の騒乱罪に問われた学生たちには大赦が下され、忘却に伏せられた。