花形マクロン経済相が 大統領を裏切り辞任。

ozawa20160903

ル・パリジャン紙(16-8-30)「彼はなぜ飛び出すのか」

4年前、オランド大統領は若干36歳のエマニュエル・マクロンを大統領府副長官にし、息子のように育て上げ2014年に経済相に抜擢した。たしかにハンサムで頭が切れ、財政に強いマクロンはロスチャイルド銀行の幹部だっただけに、数種の「マクロン法」と呼ばれる自由経済路線はオランド政権に新風を吹き込んだ。まず着任早々、社会党の支柱、週35時間制の改革、次にシャンゼリゼや観光街のデパート、ブティックなどの日曜営業許可(労組は反対したが、2倍の支給に対し被雇用者は背に腹は代えられない)、公証人業の自由化、 遠距離バスの自由化、運免試験の簡略化と教習所の自由化……と多分野での自由化を突っ走ってきた。彼はどこに行っても中小企業や大企業の経営者や事業家、大学生、エリート層、芸能人(ブリジット・マクロン夫人は彼より25歳年上、彼の高校時代のフランス語教師)などに人気がある。自信を持ち始めたマクロンは4月6日、〈En Marche!〉(進む!)という運動団体を結成、支持者はすでに6万人。5月8日、オルレアンでのジャンヌ・ダルク祭に参加し、仮装したジャンヌ・ダルクと共に撮影(Blog:16-5-12「21世紀のジャンヌ・ダルクは誰?」)。この日、オランド大統領は凱旋門で第2次大戦戦勝記念式典を行っていた。これらマクロンの閣僚らしからぬ行動に苛々していたのは、マクロンの兄貴分ヴァルス首相。

しかし、オランド大統領がゆくゆくは未来の大統領と見込んでいたマクロンが8月30日、オランド大統領に「現政治が限界に来た」と辞表を出したのだ。まるでカエサルを暗殺したブルータスにも喩えられ、大統領があまり甘やかしすぎたのだ、という声も。7月14日の大統領の記者会見2日前、マクロンはミュチュアリテ公会堂で〈En Marche!〉の集会を開き、「2017年大統領選に向けてがんばろう!」と気炎を上げたから、オランド大統領はもう我慢できず、経済相の解任を示唆した。その晩、ニース花火大会のテロ、2週間後に教会神父の斬首テロと、マクロンをどうするかの解決がのびのびに。可愛がってきたマクロンに辞表を突き付けられたオランド大統領は「彼は整然としたやり方でわたしを裏切った」と側近にもらしたという。

マクロンは支持者たちに「自分は右でも左でもない」と宣言し、インタビューでも「自分はソシャリスト(社会主義者)ではない」と公言していたように、彼は社会党員でもない。弱点として、彼は選挙の洗礼をまだ受けていないこと。彼が予備選挙に出るかどうかまだ表明していないが、左派の予備選挙には、アモン前教育相、モントブール前経済相、エコロジー派デュフロ元住居問題相と、オランド大統領が閣僚にしてやった元子分たち。右派の予備選挙候補者は、大統領復帰を狙うサルコジ前大統領からフィヨン元首相、ボルドーのジュペ市長、ルメール元農業相、コペ元UMP代表、コシスコ=モリゼ……と10人近い候補者がひしめき、オランド大統領のアラひろいやサルコジへの恨みの晴らし合いの遊説を繰り広げている。

こんな中で選挙戦にも出たことのないマクロンはどうするのだろう。第一、大統領選に立候補するには、市議から国会議員まで500人の推薦状が必要なのだ。ル・パリジャン紙(16-8-31)に出ていた読者の印象は、「彼はまだ若すぎる」「政治家としての経験がなさすぎる」「政界を一変させるためにはいいかも」「彼が内閣から出ると、オランド、ヴァルス、社会党の影が薄くなる」「彼は出世主義者にすぎず、次々に新しい法律を生み、その度にメディアに騒がれるのを好むタイプ」など、誰しも突如政界に飛び込んでいくマクロンの前途を面白がっているよう。これだからフランスの政界噺はおもしろい。