教会売ります。

ozawa20160405 聖職者たちの小児性愛疑惑が問題になっているからではないけれど、日曜日のミサに行くキリスト教徒が激減するだけでなく、新生児の洗礼はもちろん、教会での結婚式も行われなくなっている。それに比例して神父になろうとする若者も少なくなっている。最近、南仏のある村の教会で黒い肌の神父さんがミサを執り行い、信者たちがきょとんとしていたとテレビが報道していた。

1905年に敷かれた政教分離制により、国家の所有だった教会が地方自治体と司教区の所有となった。当時、約4万5千の教会が村々や町の各地区に存在していた。20世紀初期までは、青少年は将来、教員になるか神父になるかが家族の名誉であり自慢だった。それが、今は小さな村の教会は廃墟と化し、地方自治体は修理費用も出ないうえ、ミサをあげる神父もいない。数年前ブルゴーニュの小さな教会での隣人の葬儀に招かれたことがあるが、そのとき葬儀を執り行った神父さんは、終るとすぐに隣村の教会に飛んで行った。彼はかけもちで数教会を管理しているという。敬虔なキリスト教徒でもその70%は、教会として使えないのなら民間活動、美術館やコンサート会場、学校として民間に売却したほうがいいと思っている。でもファーストフードはお断りという意見だ。

フランスよりも教会や宗教施設の多いイタリアでは、すでに数年前からこの問題の解決に当たっており、ルネサンス教会が壮麗なレストランに変身したりしている。天上の高さと広大な床を使えば、ディシスコやがっしりしたスポースセンターにもなりそうだ。

ル・パリジャン紙(16-3-12)に掲載されていた、シャトーや教会の不動産売買を専門としている業者によれば、教会だけで年に2、3件の売買が成立しているそう。シャトーも350城が売りに出ているとか。価格は10〜40万ユーロくらい。まだ司教区に属している教会が4、5千あり、これから数年のあいだにそのうちの25〜50%は売りに出され、最低1000の教会が民間施設になるだろうと予想する。神父は教会を世俗化するために非神聖化する儀式を踏まなければならない。教会の〈喪〉に伏すため神父は紫色の僧服を身に着け、聖遺物やオブジェなどを取り除いていくそう。

このように教会存続の危機のなかで、昨年話題になったのが、パリ・グランドモスクのブバクール導師が、廃墟の教会が増えているのなら、それらをモスクに改造したらどうかという提案だった。その案に怒ったのは、右翼批評家エリック・ゼンムールやサルコジ前大統領だった。彼らは反対署名運動を始めたほど。ルペン派はどう考え、何を提案するのか知りたいところ。