カタルーニャ自治州政府が10月1日、スペイン中央政権の承認なしに独立を問う住民投票を決行して以来、連日、独立派と反対派が牙をむき出し合っている。この日、独立派デモに約180万人(警察調べ90万人)、国家警官が投票所を閉鎖し、官憲と独立派市民との間に激しい衝突があったにもかかわらず投票率は43%、賛成票は91%となった。スペインのラホイ首相は、「スペインは分離不可、カタルーニャ自治州の住民投票は違法であり、政府は法律に従わない州の自治権を廃止できる」と憲法155条による最後通牒と、プッチダモン州首相を違法行為容疑で逮捕するとまで表明。後者は「州民の意思を尊重する民主主義を!」と両者は平行線。
カタルーニャ州民の爆発的な独立派デモへの反動として、10月8日、マドリードでは200 万人近いデモ参加者がスペインの国旗をまとい、「スペインは一つ!」と叫んで対抗した。10月10 日、元ジャーナリスト、プッチダモン州首相は州議会で「即時独立ではなく、中央政権との話し合いのため猶予をもうける」と表明。21日、ラホイ首相は「期限が切れたので、憲法155条に従いカタルーニャ州の自治権を剥奪し反逆者プッチダモン州首を解任する」と発表した。独立派はラホイ首相を「ファシスト!」と叫び、ますます独立の意思を強め泥沼化する。
カタルーニャの歴史
8世紀から1世紀間にわたりアンダルシア州と共にイスラーム勢力に支配された後、987年カタルーニャ君主国が生まれる。1137年バルセロナ伯とアラゴン王国王女が結婚し、アラゴン-カタルーニャ連合王国が生まれ、地中海の覇権をにぎる。1258年、仏西隣接地域争奪戦後のコルベイユ条約によりフランスがカタルーニャ君主国の独立を承認、1354 年常設代表機関ジャナラリタットが設置された。1479年スペイン統一後、仏西戦争(1635-59) 後のピレネー条約でカタルーニャの意思を無視して北カタルーニャをフランスに割譲。スペイン継承戦争(1701-14)でもバルセロナが陥落しスペイン軍の占領下に置かれ、カタルーニャの議会や政府も廃止され、カタルーニャ語の使用も禁止された。この時期に農・商業・綿織物工業が興り、スペイン髄一の工業地域となる。19世紀中頃、カタルーニャ語・文化の復興運動が起こり、カタルーニャ民族主義が芽生える。1917年以降カタルーニャ共和党(現カタルーニャ共和主義左翼)、ナショナリスト民主連合などが生まれる。中央の軍事独裁政権はカタルーニャの弾圧を強め、カタルーニャのナショナリズムが急進化する。
ナショナリズムから独立主義へ
1931年ジャナラリタットが復活し自治政府がとして発足(マシア初代首相)。36 年に勃発したスペイン内戦でフランコがカタルーニャ自治憲章を廃止、バルセロナは反乱軍の手に陥落。フランコ体制下、カタルーニャ文化や地名まで廃止され、州首相以下、指導者を処刑。1975 年フランコ死去後、1977年総選挙でカタルーニャで左派民族主義政党が75%の議席を獲得。スアレス首相がジャナラリタットを復活させ、79年カタルーニャ自治憲章を制定。
今日スペイン人口の16%(750万人)、国内総生産の20% を占め、17州の中で最もスペイン経済を支えるカタルーニャ州の独立問題は、06年、自治憲章改正を政府が違憲としたことで、独立運動に火がつき、2010 年の大規模の独立派デモに110 万人、12年150万人、17年180万人と独立を望む州民の機運は高まる一方。同じ家庭内でも意見が分かれ、「独立」や「ナショナリズをム」という言葉は禁句になっているという。今日、カタルーニャ語は同州の公用語であり、初等教育での国語となっており、カタルーニャ独立志向は高まる一方。
カタルーニャ独立運動の行方
カタルーニャ州民のスペイン中央政権への歴史的怨念の根は深い。特にフランコ独裁と内戦を逃れてフランスに亡命したスペイン人は当時、約50万人。その中でカタルーニャ人は過半数を占め、スペイン人でありながら、祖国と歴史的・文化的に相容れないアイデンティティを持つと同時に経済的にもスペインの他州のために高い税金を払わされているという不公平感が強まり、民族主義から分離、独立主義へと発展していった。中央政権が一番恐れているのは、北部のバスク地方への独立運動の感染だろう。バスク独立運動「バスク祖国と自由 ETA」は2011年、武装闘争に終止符を打ったのだが。
国際社会の中でカタルーニャ州が一つの共和制国家になる道は、そう簡単ではない。独立すればEUから離脱することになり、銀行や大企業など千以上の企業がカタルーニャ州から他の州に本社を移し出始めているという。解決策として憲法を改正するか、またはドイツのようにスペインの連邦化を提案する向きもないでもない。スペイン政府とカタルーニャ州のあとに戻れない険悪関係に対し、欧州連合諸国は、スペインの内政問題として介入しない姿勢だ。