3カ月間に3つのテロ事件
3月から6月までの3カ月間に英国で3件*の大規模なIS(イスラム国)”兵士”によるテロが続発。テリーザ・メイ首相は”Enough is enough(もうたくさん)”と叫び「我が国はイスラム過激派に対しあまりにも寛容すぎた」と表明した。しかし2001〜06年、彼女が内務大臣時代に2万人の警備員を削減したことで批難されている。05年、テロリスト4人によるロンドン地下鉄テロ(56人死亡、約700人負傷)に驚愕したロンドン市民は、シティから北東部に広がるムスリム地域を「ロンドニスタン」と呼んでいる。
ロンドンのコミュノタリズム社会
40年来、移民のコミュノタリズム(仏語:共同体主義)を奨励してきたイギリスの現実はどうなのだろう。イスラム・現代アラブ世界専門家ジル・ケペル氏はインタビュー(L’OBS: 17-6-8)で語る、「英国はイスラム過激派を抱き込むことで社会平和を保証できるとし、シャリーア(イスラム)法を掲げる協議会の開設を全国に100カ所ほど認可し、夫婦問題や離婚などの仲裁に当たらせている。…ジハードの理論家アブ・ムサブが90年代末に世界のイスラム過激派にレジスタンスを呼びかけ、メクレアン(不信心者)への安価なテロとして、車の暴走や刃物によるテロを呼びかけ」、「アルカイダがピラニッド型なら、ISは水平型ネットワークで西洋文化の破壊を狙っている」という。
昨年11月パリのバタクラン劇場、年末ベルリンのクリスマス市、パリ・ノートルダム前(6/6)、今回マンチェスターのコンサート会場…と欧州大都市のキリスト教関係や文化的会場を標的にしている。
戦後の移民受け入れ策
英国人は1950 〜60年代に元植民地からの大量移住を受けて白人市民の市外住宅地への移住に拍車がかかる。そして70年代アルジェリアの武装イスラムグループからアルカイダ分子まで受け入れ、多文化主義、言論の自由という建前のもとに彼らに亡命や滞在を認めた。ブレア首相時代に連合軍のリビア攻撃に英国籍の移民2、3世を派兵し、その後、帰還せずにアルカイダやジハードグループに加わる者もいた。ロンドンに定着した厳格派サラフィー主義の指導者たちは、モスクよりも公園や広場、路上に回教徒を集めて声を大にして西洋文化ヘイト思想を植え付ける。サラフィー主義はフランスにも20年ほど前から浸透している。
英国とフランスのイスラム過激派に対する見方の違い
英国で多文化主義コミュノタリズムのツケが今まわってきている一方、フランスは郊外にコミュノタリズムがあってもライシテ(政教分離)をタテにイスラム教の男女差別を根本的に認めない。ムスリム女性のスカーフは80年に公共の場での着用を禁止し、初・中等教育機関内でのスカーフも禁止した。昨年夏、ニース市長が海岸でのブルキニ(ムスリム女性の頭から手足まで被う水着)を禁止したとき、ロンドンのサディック・カーン市長(パキスタン系)や『ハリー・ポッター』の著者J.K.ローリングらがロンドンの仏大使館に抗議に行ったという。フランス人が英国人よりもイスラム過激主義に神経を尖らせるのは、「仏革命による普遍性とライシテ」が指針となっているからなのだろう。
ロンドン、マンチェスターでのテロ事件に衝撃を受けたマクロン大統領は6月7日、対テロリスト対策としてタスクフォース(任務部隊)と呼ばれる新しい部隊を新設し、治安・情報・諜報・司法部門などテロリストに関する全部門を連携させ、大統領府に直結させる方針を公表した。