11月20、27日に行われた右派候補予備選の両投票日とも400万人以上の保守派投票者が駆けつけたのが一つの驚き。投票毎に2ユーロ払った彼らの6割以上は60代以上の裕福な定年者だ。第1回投票で、今まで政界でむしろあなどられてきたフィヨン元首相が44%で、サルコジ前大統領(3位20.8%)を押しのけ、左派・中道派が期待していたジュペ元首相=ボルドー市長(28%)をも追いやり、まるで大統領選挙に当選したかのように支持者らが熱狂した。
その間、オランド大統領とヴァルス首相は頭を寄せ合って、社会党予備選挙に出ると言っていたオランドと、大統領に対抗して自分も予備選挙に出ると言っていたヴァルスは煩悶する。彼らは主従関係にあり、ヴァルスは、支持率が4%にまで落ちたオランドの続投をすすめ従者であり続けるか、どちらが出馬しても大統領選1回選で溺死状態にある社会党候補は破れ、右派フィヨン候補と全国の支持率30〜35%の国民戦線FNマリーヌ・ルペン候補が決選で競り合うのは火を見るより明らかだ。
サルコジ政権下で首相を5年も務め、最終目標であるエリゼ宮への道を歩むフィヨン(62歳)の経歴を見てみよう。第一、サルコジが選挙運動中も、一度もフィヨンを元首相とは呼ばずに自分の「元協力者」と言っていたのもメディアが指摘していた点だ。
フランソワ・フィヨンは1954年ロワール県ルマン市で生まれ、父親は公証人、母親は18世紀専門の歴史学教授。フィヨン夫人ペネロープはイギリス人だがカトリックに改宗し2人の間に息子4人、娘1人がいる。フランソワは若いときからF1レースにアマチュア選手として出ている。政界に入ったのは1981年、27歳の最年少議員として国民議会議員に当選。以後18年サルト市長を務め、地方圏議会議長も兼任し、バラデュール政権(93-95)で高等教育・研究相、情報テクノロジー相、ジュペ政権(97-97)で通信相、シラク政権(95-12)で社会・労働・連帯相と、これまでに3政権に関与した政治家は珍しい。80年代以来、フィヨンが影響を受けたのは〈gaulisme social 社会ドゴール主義〉を貫いたフィリップ・セガン(パリ市長選に出たがドラノエに負けた。最後は会計監査局長)だった。近年フィヨンの名がメディアに刻まれたのは04年不発に終ったバカロレア改革(高校生が大デモ)と95年定年法で年令63歳をサルコジが反対し62歳にしたことなど。
この40年間、シラクが創立したRPR(共和国連合76-12)、UMP(民衆運動連合02-15)、 今日の共和党と、票集めのためか、時代に追いつくためか党が改名されてきたのも右派の特徴と言える。そのなかで派閥とイデオロギー、政界人のエゴイズムにもまれ、しごかれ、利用されてきたのもフランソワ・フィヨン。12年に当選したサルコジ大統領がフィヨンを首相に抜擢した時、主人にかしずくイメージが強かったのか筆者は「サルコジ政権の”カカシ”」と書いたのを覚えている。それは間違ってなかった。5年も衝動的体質のサルコジ大統領の下で反旗もひるがえさず、いつもブローニュの森をジョギングするトレーナー姿のサルコジより3歩下がって走っていたイメージが消えない。
主従関係から解放されたフィヨンは、3年間全国を回って庶民の声を吸い上げて熟考したという大統領選挙の公約は誰よりも大胆だ。まず5年間に公務員50万人(500万人の1/10)を削減、週35 時間制を廃止し、48時間まで可能にする、定年を65歳に、企業減税、消費税20%を22%にアップするなど、80年代サッチャー式リベラリズムを敷いていく意向だ。問題は医療分野もどこまで自由化するかだろう。
フィヨンと信仰心が通じ合う保守キリスト教徒層は、同性婚や中絶、同性夫婦の養子縁組に否定的なフィヨンを彼らの陣営に引き込み、フィヨン政権樹立後、同性婚トビラ法の廃止に向けて運動を盛り上げていくことだろう。戦後、フェミニズム運動などによりキリスト教が影薄になったうえ、ムスリム文化が根を張りつつあるフランスにフィヨンは救世主のように、かつてのフランスのアイデンティティの回復と威厳を……となると、エリート社会やグローバル化を敵視する貧困層の支持を増やす極右マリーヌ・ルペンに対してどこまで戦えるか。国民議会FN議員2人の1人、マリオン・マレシャル= ルペン(マリーヌの姪)は、南仏地域の特にカトリック層に人気がある。フィヨンが来春大統領になったとしたら、ドイツや他の西洋諸国、フランスにも広がる市民の不安につけ込むポピュリズムに対し、彼の保守伝統主義がどこまで抗していけるのか。