ドイツのメルケル首相の人道的配慮により、昨年以来、百万人にのぼるイラクやシリア、アフガニスタンからのムスリム難民がドイツに押し寄せている。難民受入れに対する右翼勢力の排斥感情の高まりのなかで、難民の間に意外なことが起きている。ル・モンド紙(16-6-7)が1頁にわたり「その後の信仰」と題して、ストゥットガルトを始め、各地の町のプロテスタント教会に難民がイスラム教からプロテスタントに改宗するため牧師に会いに来ているという。フランクフルトのアルファ・オメガ教会のババジャン牧師によれば、今年に入ってから196人のアフガニスタン人、イラン人難民がプロテスタントに改宗したという。年末までに改宗者は500人に上るだろうと予想している。ベルリン南部にあるルター派教会でも2月15人、3月25人、4月には男性、女性、子共を合わせ25人と、プロテスタント改宗希望者の波は止まらない。この教会の常連の信者数は昨年までは660人程度だった。カトリック国フランスも田舎の教会の廃墟化が進んでいるなかで、ドイツのプロテスタント教会が若返りそうだ。これはメルケル首相も予想しなかったことだろう。
イスラム教からプロテスタントへの改宗の始まりは、2008年のこと、ライプシィヒでプロテスタントに改宗した2人のイラン人がベルリンに移住し、保守派と言われる上記のベルリンの教会に行くようになった。それからは口コミでムスリム難民に伝わる。5月4日には222人が改宗した。同教会のマルテンス牧師はイスラム教徒のプロテスタントへの改宗動機として、「イスラム教は毎日5回決まった時間に礼拝し、そのときの座り方の規定や、コーランの章句の暗誦など厳しい制約があるのに対し、キリスト教では「神は我々の父」であることを信じ「1日1回神に感謝すればよい」という。
しかしムスリム難民がドイツで改宗する裏には、プロテスタントやカトリックに改宗すれば亡命権や滞在許可証が簡単に取得できるのではないかと「免罪符」的に捉えられているのではないかという危惧が内務省になくもない。内務大臣は、キリスト教徒になったから強制退去されないとはかぎらないと警告する。プロテスタントもカトリック教会も、イスラム教からの改宗希望者には最低1年のキリスト教の教理の習得や精神的準備期間を設けるという教会が増えている。もちろんドイツ語の習得が必須。ただイスラム国で生まれ育った難民にとって、友人や隣人、家族の理解・了解を得ることはかなり難しいようだ。アッラーへの裏切りともとられるからだ。イスラム教からキリスト教に改宗するには、西洋文化、民主主義そのものを受け入れなければならないからだ。マルテンス牧師によれば、イエスの聖体拝領を受ける信者はドイツ・ロシア系信者のあいだには30%いるが、難民の改宗者は6%に過ぎず、90年代初期改宗者だけがノエルや復活祭などキリスト教関係の行事に参加するという。
ムスリム市民に対する差別は、フランスでも履歴書に「モハメッド」とか「オマール」などムスリム系の名前は「フランソワ」や「ピエール」などクリスチャン名の志願者より採用されにくいという現実が存在し、氏名を西洋人名に改名する人もいる。20世紀前半を決定づけたナチズムは、ユダヤ人名の住民(男子は割礼という体に刻まれる宗教的習慣で出自を隠せない)を絶滅させようとした。西洋諸国のなかでムスリム難民への排斥感情が高まっているなかでポーランド政府などは、キリスト教徒の難民だけを受け入れるという宗教を基準にしての選別を行なっている。
イスラムの出自からキリスト教徒のアイデンティティを接ぎ木しなければならないという文化・人類学的にも、21 世紀には今までなかったキリスト教とイスラム教の共存、または混合の社会が生まれようとしている。