61年前アルジェリア戦争中の拷問死を「国の責任」と認める

アルジェリア戦争:マクロン大統領の歴史的行為 Le Monde (18-9-14)

 1957年6月11日アルジェリア戦争中、仏軍が当時25 歳の共産党員で数学者モーリス・オーダンをアルジェの自宅で逮捕し、監禁、拷問の末、死なせた事件について、マクロン大統領は9月13日、オーダン未亡人ジョゼット夫人の自宅を訪ね、親書を渡した。オーダンの死は「国が法令化した弾圧によるものである」と宣言し、フランス現代史の隠された過去を公けにした。
 61年前のこの数学者の拷問死をなぜマクロン大統領が「国の責任」に帰したのか。1956年、当時の左派与党が国民議会で成立させた法律で、アルジェリア占領中の仏軍は言論の自由はもちろん、予告なしにナチのゲシュタポのように市民を逮捕し、拘留できる権限を軍に与えたからだ。モーリス・オーダンの妻ジョゼットさんや遺族、共産党員、オーダン支援委員会やメディアがオーダンの死を明るみに出す活動を続けてきた。与党「共和国前進」の国民議会議員で数学者のヴィラニ議員とオーダンの2人の遺児も数学者で大学の同窓生。もちろんヴィラニ議員もその活動に参加した。

アルジェリア戦争の深い傷跡
 地中海を挟んで150年間フランスの植民地だったアルジェリアからの数十万人の引揚者(ピエノワールと呼ばれる)、仏軍に加わり、戦後も売国奴と呼ばれフランスに移住したアルジェリ人元兵士と家族「アルキ」、上記の1956年法で数十万人の仏青年が徴兵され戦死した者も多い。アルジェリア戦争で亡くなったアルジェリア人は45万人、仏人は兵士と民間人合わせて3万人。1962年アルジェリア独立後、フランスの産業復興のため、企業家はアルジェリア人労働者を諸手を挙げて勧誘に行ったものだ。ルノー工場や鉄道、道路建設など重労働についたアルジェリア移民は今日70歳以上。彼らの中にはアルジェリア戦争の生存者もかなりおり、仏軍に殺された家族の遺族も多いことだろう。

フランス現代史の中のアルジェリア戦争
 マクロン大統領は、2017年に当選する前にアルジェリア訪問中、「アルジェリア戦争は人道に反する犯罪」と表明したとき、保守・右翼層から40前の若造候補にアルジェリア戦争の何が分かるのかという反発の声がなくもなかった。今回大統領が「国の責任」と認めたオーダンの拷問死について、当時の軍部は「彼は逃亡した」という虚言で通してきた。
 今回のマクロン大統領の宣言は、1995年シラク大統領が、ナチ占領中の1942年7月16-17日、仏警察が13,152人のユダヤ人を「ヴェル・ディーヴ競輪場」に集合させた後、アウシュヴィッツなどに強制送還したことの「国の責任」を認めた歴史的宣言に匹敵する。国が定めたアルジェリア人弾圧法による拷問システムによる軍部による殺害とマクロン大統領が認めたことに意味がある。アルジェリア戦争中、独立派アルジェリア人の拷問は一般化していたのである。極右国民連合党首マリーヌ・ルペンはマクロン大統領の宣言に対して「どうして大統領が過去の傷跡を開けるのか理解できない。国民を分裂させるようなものだ」と、父親ジャン=マリ・ルペンも仏軍隊にいた時の過去を思い返しているのだろう。

旧植民地出身家族の仏社会への融合は可能か
 今日アルジェリアだけでなくモロッコやチュニジアからの移民の二世、三世の大半は仏国籍所有者だ。だが彼らのファーストネーム(ジャメルやアキム、マホメッド…)が履歴書に載っているとき、フランス人名の応募者より面接まで行けるのはごく少数とみられる。社会的人種差別は、年代層にもよるが過去の戦争が残した傷跡と重なることもある。マグレブ人との摩擦が宗教の違いからきているのも否めない。
 歴史学者のシルヴィ・テノ*は、ルモンド紙(18-9-14)に「やっと国が責任を認めた」という投稿記事に、歴史学者ピエール・ヴィダル=ナケ(1930-2006)の言葉「責任性を希釈化しても消却できるものではない。〈犯罪人の懲罰を得るため〉ではなく、真実を正面から見ることができることによって〈過去〉を清算できるのである」を引用している。マクロン大統領がこれからすべきことは無名の何万、何十万の死亡者、被害者名簿を作成することだろう。そうして初めてフランスとアルジェリアの隠されてきた過去と向き合うことができるのかもしれない。

*ピエール・ヴィダル・ナケ:両親がゲシュタポに殺害された歴史学者。イスラエルによるホロコーストの政治的利用を批判する著書も。中でも『記憶の暗殺者たち』は有名(日本語訳:人文書院)。
*シルヴィ・テノ:アルジェリア独立戦争と植民地主義の専門家。