5月26日に向けて加熱する欧州議会議員選挙。

 EU離脱案への英国議会の反対でメイ英首相は決定的ブレグジット(英国EU離脱)日を伸ばしに伸ばし、6月30日に延期しようとしている。英国が参加しない場合、欧州議会は加盟国28 カ国でなく27 カ国で2014年選挙に次ぐEU議員選挙が行われることになる(フランスの投票日は5月26日)。

 今までの議員数751人は、英国議員がいなくなれば705人になり、その中でフランスの議席数は74から79に。前選挙の議会構成は、中道右派(EPP)217人、中道左派(S&D)184人。しかし、サルビーニ内相を先頭に右傾化が進むイタリアを始め、2017年大統領選でマクロンとの決選にまで行ったマリーヌ・ルペン( RN)と歩調を合わせ、極右ナショナリズムが高まる東欧のハンガリーやチェコ、ポーランド、オーストリアなどがそろって難民受け入れを拒否しEUに敵対する。EUの分裂が進む今日、ルペンなどは今回のEU 選で極右ナショナリスト・グループとして200議席を獲得しようと意気込んでいる。戦後の欧州統合を目指してきた欧州連合の概念がブレグジットに刺激され、さらに切り崩されつつあるのである。

 フランスのEU選が今までになく加熱化しているのは、社会党が消滅同然の今日、左派分裂が進む中で、同選挙に候補を送り込むのは、極左(FO、メランションの服従しないフランス党)、欧州緑の党、極右RN(ルペン)、共和党、新顔のマクロンの共和国前進党(LRM)、ジェネレーション党(アモン社会党前大統領候補)、共産党、グリュックスマンが昨年11月に設立した新党「パブリック広場Place Publique」… まで15党がひしめきEU議席の争奪戦を繰り広げている。

ラファエル・グリュックスマンが政治家になるまでの経緯。

 ここで紹介するのは、彗星のごとく政界に現れた、故アンドレ・グリュックスマンの息子ラファエル・グリュックスマン(39)。父親は68年運動をサルトルと共に担った元毛沢東派の哲学者アンドレ・グリュックスマン(1937-2015)。ラファエルはアフガンやチェチェンの亡命者、ロシア反体制者らを支援した社会主義インテリ家庭で成長する。30歳前にアルジェリアの日刊紙 Le Soir d’Algérie で8カ月研修を受け、04年ルワンダの虐殺事件ドキュメンタリー製作、 04年ウクライナのオレンジ革命を取材・撮影。06年グルジア(ジョージア)に向かい、サアカシュヴィリ大統領の顧問となり、 EUとの橋渡し役を務める。09年当時グルジア政権のズラゼ副内相と結婚し、1子を持つ。

 政治経験のないラファエルを奮起させたのは、2017年大統領選以後、フランスの左派、右派とも分裂、分散する中で、一部はエコロジー派やマクロンが作った共和国前進党LRMに合流した。マクロンに対抗できるのはマリーヌ・ルペンのみといえる今日、ラファエルはエコロジー派や元社会党員らと左派連合を作ろうと立ち上がった。

 昨年10月グリュックスマンが立ち上げた自称ダイナミックな新党パブリック広場党に、元社会党大統領選候補アモンが率いるジェネレーション党や欧州緑の党のジャノ代表両者に、パブリック広場党に合流するよう誘ったが、父親グリュックスマンを笠に着る息子の思い上がりが鼻についたのか政界のベテラン、アモンやジャノ候補は彼の誘いを鼻先であしらう。政界人に嘲笑されながらも、フォール社会党党首やベテラン社会党員オブリ(リール市長)やイダルゴ-パリ市長などは、左派勢力の統一をグリュックスマンに期待し支援する。選挙2カ月前(3/21-25)のIPSOS の世論調査による投票予想率は、LRM (マクロン派)23.5%、RN(ルペン)22%、LR(共和党)12%、緑の党8%、PS-パブリック広場6 .5%、右派DLF(Debout la France) 5%。Génération.S (アモン)4%。

グリュックスマン・ジュニアのパリ生活。

 2012 年グルジア出身の妻子とパリに戻ったラファエルは、文芸雑誌の編集や公営ラジオFrance Infoの時事解説を担当、エッセイストとして著書『Les Enfants du Vide』を出版。しかし、若くてハンサムで知的で地政学に鋭い目を持つ彼を、メディア界のキャリアウーマンたちが放っておくわけがない。仏メディア界で引っ張りだこのグリュックスマン・ジュニアは、 2015年、公営テレビ局フランス2の政治討論会の魅力的な司会者レア・サラメと討論番組で出会い、以後同棲生活に入り1子を設ける。

 レア・サラメはグリュックスマンがEU選に立候補したので、3月中旬から選挙までの2カ月間休職。政治家の私生活まで追うわけではないけれど、市民として無関心ではいられない。果たして今後、彼は政治家として波乱に満ちた道を歩み続けるのか……どんな状況をも鋭くキャッチして適応
する少々カメレオン的な面がなきにしもあらず。2000年代初期には父親と共にサルコジ大統領を支持し、最近はマクロンにも尾を振り、最後は死を待つばかりの社会党に接近し、エコロジー・左派の統合再建を目指す。