反ホモフォビア運動
同性婚法が2013年に成立して以来、フランス社会が深いところで変化しつつある。同性婚法に反対するキリスト教徒保守派が中心になって国民戦線ルペン派に結集し、フランス伝統文化のアンデンティティ論を展開する。そうしたなかで同性愛者に対する嫌悪を煽る動きが日常化している。
ケベックで 2003年に反ホモフォビア・デーが設立され、06年モントリオール宣言が成立。5月17 日を〈国際反ホモフォビア・反トランスフォビアの日〉として国連によって承認され、67カ国が支持した。その前の1990年5月17日、世界保健機関が同性愛を国際疾病分類から除外している。
フランスの同性愛者ヘイトの現実
最近France2で放映された映画『Baisers cachés(隠れたキス)』は高校生2人のひそかな親愛関係をめぐり、クラスメートたちの暴力にまで発展するいじめを描いている。SOSホモセクシャル協会(94年創設)によると、電話やメールにより、罵倒、からかい、嘲笑、暴力などを受けた被害者の証言は届け出られたものだけで1145件(2015年)。昨年だけで20%増。街やスーパーのレジで「ペデ(ホモ)」と罵られる男性や、ある教師の元友人が校長に教師がホモであることを明かして以来、校長はその教師と握手もしなくなったという例もある。超保守派の旗手クリスチーヌ・ブタン元議員は「同性愛はぞっとする」と発言したため5000€ の罰金が科された。06年に若い同性愛者B.W.さんは4人の若者に犯され、拷問を受け殺された。犯人らは重罪裁判所で16〜20年の懲役刑に。ホモフォビア被害者の69%は18歳未満だという。家庭内14%、公共の場12%、職場12%、隣人9%、校内6%。日常的侮辱、社会的嘲笑の対象になることで孤立化し、孤独の果てに自殺を選ぶ同性愛者は普通の自殺者数の数倍に及ぶという。こうしたなかでドラノエ前パリ市長(2001〜14 )は着任直後に同性愛者であることをカミングアウト(公表)した。
ホモセクシャル抑圧の歴史
イギリスは、オスカー・ワイルドがダグラス卿との同性愛関係により2年の禁固刑と強制労働を科した例をあげるまでもなく、1533〜1861年、同性愛者には絞首刑が科された。
フランスは、1791年に同性愛は非処罰化されたが、王政復古(1830年)から第2帝政時代まで国民調査により同性愛者はリストアップされた。42年ヴィシー政権時、未成年者(21歳、74年18歳に)と特に同性愛関係を持った者は6カ月〜3年の禁固刑、罰金2千〜6千フランとあったが、この刑法が廃止されたのはミッテラン政権樹立後の82年だった。それは売春取り締りを兼ねていたという。
同性愛に死刑を科す国は、アフガニスタン、サウジアラビア、イラン(05年、15歳と18歳の青年 が絞首刑に)、スーダン、イエメン、モーリアニア、ナイジェリア(07年に18人の同性愛者が死刑判決を受けている)の7カ国。モロッコやエジプト他、約60カ国は同性愛者に禁固刑や強制労働を科している。
1983年、アメリカに次いでフランスでエイズ感染が確認されて以来30年以上のエイズ時代が続く。麻薬摂取者の注射器による感染者も含め現在全国で15万人(うち5万人は未検査)がVIHを抱えて暮らしている。男性ホモセクシャルのVIH感染が目立った90年代の彼らの闘いの日々をテーマにした『120 battements par minute』(ロバン・カミヨ監督)が2017年カンヌ映画祭でグランプリを受賞した。同性愛者のエイズ受難は、これからも文学や映画、演劇…と重要なテーマであり続けるだろう。
同性婚と平行して未婚家庭、片親家庭、シングルマザー、ホモセクシャル・カップルと、家庭や社会の様相が変化しつつあるなかで、毎年6月から7月にかけて、各国の大都市で “Marche des Fiertés LGBT” (レズビアン•ゲイ•バイセクシャル•トランスジェンダー)を掲げる〈ゲイプライド〉行進が繰り広げられる。パリは6月24日(土)14hルーヴルのピラミッドからバスチーユに向かって行進。
ちなみに日本の「ゲイ(男色)文化」は古代にまで遡り、同性愛に対して寛容な民族として知られている。同性婚は認められていないが、2015 年3月31日、東京都渋谷区で同性カップルの「結婚に相当する関係」を認める条例が区議会で成立。同性愛者の全人口に占める割合は7.6%(約950万人)といわれている。