アフリカ美術品の返還

旧植民地の美術品の返還は可能か?

このガボンからの彫刻は、1950年パリの旧人類博物館から盗まれ、16 年9月7日、コレクターがケ・ブランリー博物館に返還した。

2013年12月に提出されたフランス黒人協会代表評議会(CRAN)の「アフリカ美術品返還」要求は、ユネスコや国連の人権評議会でも取り上げられている。16年、ベナン共和国のタロン大統領も公式に美術品返還を要求した。それに対して、昨年11月28日、マクロン大統領が西アフリカはブルキナファソの首都ワガドゥグで大学生や政治家を前にした講演で、「私は、西洋諸国による植民地政策は否定できない犯罪であり、わたしたちの歴史の一部であることを認める世代です。アフリカの文化遺産を私たちの美術館に閉じ込めておくことはできません。5年以内にそれらの祖国への一時的または完全返還を実現したい」と宣言したものだから、欧米諸国の人類学者から美術館、骨董商、収集家までが仰天してしまった。

17年2月14日、当時大統領候補だったマクロンは、新世代としてのフランスの過去に対する断罪として、アルジェリア訪問中、「フランスのアルジェリアの植民地化は反人道罪である」と明言したことに、保守右派だけでなくアルジェリアからの引揚げ者の子孫からも反発の声が上がったことを国民は忘れていない。

過去の戦利品返還政策

アフリカの美術品の90%以上はアフリカ外に持ち去られている。植民地時代の戦利品、略奪品である。サルコジ元大統領は「我々はアフリカ人の歴史を奪い去った」といったが、CRANのタン会長は「文明間の対話は文化的略奪のうえには成立しない」とはっきりいう。

まず大英博物館には20万点以上、ウィーン世界民族博物館に3万7千点、ベルギーの中央アフリカ王立美術館には18万点、パリのケ・ブランリー博物館には7万点、と19世紀から2世紀にわたったアフリカ人の奴隷化からキリスト教宣教活動、欧米人探検家らによる美術品の収奪、植民地を占領した西洋軍による略奪まで、西欧国に持ち返った美術品がほとんどだ。エジプトはフランスにファラオンの石柱5本の返還を、ギリシアも大英博物館に鎮座する多くのギリシア彫刻の返還を要求している。各国の博物館の目玉品となっている美術品の返還というだけで、自分たちが当然の戦利品としてかき集めてきた文化遺産を持ち主に返せという要求に、西洋諸国の美術関係者は唖然とする。

略奪品の返還史

一番最近といわれる政府間協定による美術品の返還といえば、1994 年、ナチ時代に独軍が奪ったルーヴルの名画(クールベやセザンヌ他)27点をミッテラン大統領が当時ドイツのコール首相に返還した。またサルコジ元大統領は、仏帝国海軍が当時の朝鮮から1866年に略奪した手書古文書300点を韓国に貸与という形で返還した。

ではケ・ブランリー博物館のステファン・マルタン館長は、どう思っているのだろう。彼はメディアの質問に対し「美術品とともに過去を奪われたままのアフリカ大陸はあり得ないし、その状態は続けられない。それらの一部はもとあった所に戻るべき運命にある」と表明。コレージュ・ド・フランスのベネディクト・サヴォア教授はル・モンド紙(18-1-13)の論壇頁で「返還される美術品を受け取るアフリカの若い世代を理解すべきだ」という。確かに若い世代は祖先が奴隷制とともに生きた屈辱を新たに体感しながら返還される美術品を受け取るのだろう。

移民・難民として人口が流出するアフリカに美術品返還

世界中に散らばりディアスポラ化がすすむアフリカ人の祖国に自分たちの祖先が作った美術品を返還し、彼らのアイデンティティを再発見させるべきなのか。アブダビ首長国にはすでにルーヴル分館があるように、ケ・ブランリー分館をアフリカのどこかの国に設立するのも一案だろう。オリジナル作品の回収が不可能なら、複製を展示するというアイデアもあるのだが、返還されるオリジナル作品はどこに所蔵するのかという問題が出てくる。

アフリカは野生動物の見学地域だけではない。宗教・人類学的創造が込められた美術品を見学できる国々でもあるのだというふうに、アフリカ諸国への見方を急転換させるべき時代にきているといえる。たとえば2013 年に開館したベナン共和国の首都コトヌに近いウイダ市にできた私立ジンズー財団は、現代アート(1千点以上所蔵)の殿堂としてビエンナーレも開催している。アフリカ独自の文化活動が各国の地元で盛んになったときに、初めて過去の美術品を踏み台にして、西洋という上から下へではなく、下から吹き上がる息吹きとなって、今の経済的グローバル社会に新風を吹き込んでいくことだろう。