聖職者による未成年者性虐待を暴露する映画『Grâce à Dieu 』(神のご加護(仮題):オゾン監督)が公開中だが、長年教会という聖なる要塞の中で僧衣を着た神父や司祭が、聖書の伝道者としてボーイスカウト活動や賛美歌少年合唱団の児童たちに思いのままに性暴力を働き、今日40~50代となっている犠牲者たちに沈黙を課してきたことへの怒りが堰を切ったように明るみに出ている。
教会内の性スキャンダルとして騒がれている聖職者の小児性愛問題についてフランシスコ教皇は、これ以上耳を塞いでいられなくなり、2月21~23日、世界の枢機卿、大司教ら190人をバチカンに招き、聖職者の未成年者性虐待問題をめぐる会議を開いた。フランシスコ 教皇 の言葉を拾うと、同問題はポルノとともに「世界に広がる普遍的問題であり」「サタンの影響」「悪の手」「悪の神秘」であり、「未成年者への性的虐待を解明できる言葉はない」とし、聖職者らに「真のお清め」を勧める。また教会を蝕む「聖職者と神学生の依存的奴隷」関係に陥らないようにと警告。信者たちは教皇による具体的な対策が示されていないことで落胆する。
リヨン教区バルバラン枢機卿裁判
リヨン教区を取り仕切ってきたバルバラン枢機卿は25年以上、小児性愛疑惑のある神父らをかばい、容疑が発覚するや他教区に転属させてきた。特にボーイスカウト活動中、60人以上の少年に性的虐待を働いたプレナ神父は*、上記オゾン監督作品にも出てくる。バルバラン枢機卿と5人の聖職者の裁判が2019年1月8日に開かれたが、告訴した9人の犠牲者が少年時代に受けたほとんどの性虐待容疑は時効として、検察側は起訴しなかった。数十人の犠牲者が立ち上げた「言葉の解放」という被害者協会は、告発活動を続け2019年3月7日、ついにリヨン軽罪裁判所は、バルバラン枢機卿が「2014~15年プレナ神父による未成年者性虐待容疑を告発しなかった」罪で、執行猶予付6カ月の禁固刑を宣言した。バルバラン被告は判決直後、 教皇に辞職願いを出すと発表し、控訴する意向。同類の問題で辞職した聖職者はこれで3人目。「言葉の解放」協会メンバーたちは、バルバラン枢機卿への判決に不満だが、数十年の沈黙の掟が崩壊したことだけでも「勝利」と安堵する。
修道女らは、聖職者たちの性的奴隷?
神と結ばれた修道女たちも神への服従という名の下に彼女らを犯し続けてきた聖職者たちの裏の生活を暴露する『教会内のもう一つのスキャンダル』と題するドキュメンタリー映画が3月5日ARTE 局で放映された。聖職者たちは、若いシスターに助言、指導しながら男としての欲望を抑えきれず、彼女らを犯し、中には20年以上、ある聖職者の二重生活を支えざるを得なかった修道女の証言なども明らかにされた。彼女らが妊娠すると強制的に中絶させられるという、中絶やコンドーム禁止のカトリック界の矛盾に満ちた状況が繰り広げられている。特筆すべきは、東南アジアや南米、アフリカに派遣される神父の中には、現地のシスターたちの文化の違いを逆手に取り、性欲を満たす道具とみなす聖職者も多い。もちろん白人神父とのハーフとして生まれてくる新生児はまれで、中絶と沈黙の掟が事実をもみ消す。被害者修道女たちは、村からも除外され、二重の迫害を受けることになる。
聖職者のホモセクシャル(同性愛)傾向。
聖職者らの同性愛性向を暴露する『Sodoma』(旧約聖書に出てくる”背徳の都市ソドム“をもじる)(フレデリック・マルテル著/Robert Laffont社)が、皮肉にも上記バチカン会議の開幕日に出版された。著者自身同性愛者だから調査が可能だったと、4年にわたり神学生から上位聖職者まで1500人の打ち明け話を600頁にまとめた。聖職を目指す若き神学生は、貞潔の誓願をして独身主義を守ろうとするのだが、同性愛相手を漁る先輩聖職者の手が伸び、聖職者の間ではお互いさまの黙認の二重生活が横行し、著者によると、「バチカンは世界で最も大きいホモのコミュニティー」であり、大半は同性愛者だという。同性愛と小児性愛は別個と言われるが、同性愛と、未成年者性的暴行への道は交差しやすく、皮肉にもバチカン上部に行くほど外見はホモ排斥者として振る舞う上位聖職者が多いという。 教皇は、同性愛はあくまでもプライベートの問題とし、未成年者性的虐待・暴行容疑者は、教会から破門する意向だ。
バチカンを頂点に抱くキリスト教会にとって、致命的な聖職者告発の波が堰を切ったように押し寄せ、聖職者としての仮面が次々に剥がれつつあるのである。イエス・キリストは下界で聖職者たちが信者らに迫害されていると見ているのだろうか。
*2016年アカデミー賞受賞の『スポットライト世紀のスクープ』(マッカーシー監督)が取り上げた教会内スキャンダルについて「仏版スポットライトは可能か?」をwww.ovninavi.com(16-3-31)に記載。