オペラ座地区のテロリストはチェチェン人

「パリでまたテロ。テロ犯は要注意人物」Le Parisien(18-5-14)

5月12日夜、オペラ座界隈で「イスラム国(IS)」のメンバーと名乗る男がナイフで通行人男性(29)を刺殺し、4人負傷させ警官に射殺された。パスポートも身分証も持っていなかった犯人の顔の画像分析により、犯人(20)は、3歳のとき両親とチェチェン共和国からフランスに亡命してきたカムザ・アジモフと判明。犯人自身が犯行前に撮ったビデオをISが公表。それには「イラク、シリア、世界中の兄弟たちよ、不信心者たち(メクレアン)を攻撃しよう、できなければ今いる地で襲おう」と呼びかけている。今回のテロ犯がチェチェン生まれのイスラム過激派によるパリ初のテロだったため注目を浴びている、

ロシアに抵抗してきたチェチェン共和国
 今日、ロシア連邦に属するチェチェン共和国には、16 〜18世紀に東のダゲスタンからイスラム教スンナ派が伝わり、ほとんどのチェチェン人はイスラム教に改宗した。ロシア連邦からの分離独立派がロシア軍と交戦した第1次(94〜96年)、第2次チェチェン紛争(99〜2000年)の最中、97年にチェチェンに生まれたアジモフは、3歳のとき両親とフランスに亡命し、04年正式に亡命許可が下りた。4年後、母親の仏国籍取得と同時に息子のカムザもフランス国籍を得た。
 アジモフは青年時代までニースで過ごし、チェチェン出身者が1万5 千人いると見られるストラスブールのイスラム過激派グループに加わり、警察に取り調べられ「イスラム過激化防止ブラックリスト」(Fiche S)に載った。アジモフは、オペラ座地区の殺人テロの数カ月前にパリ18区の母親の住居に戻って来ていた。 要注意人物としてストラスブール以後のアジモフの行動を、仏情報機関はなぜ監視できなかったのかが問題になっている。
 ルモンド紙(18-5-15)に載った国内治安総局カルヴァー元局長によれば、2016年2月時点でフランスからシリア行くか、またはシリアからフランスに帰国したジハーディストの7〜8%はチェチェン出身者であり、ほとんどが仏国内でのテロ実行を目指していると予想される。ゴマール前軍事偵察局長によれば、IS兵のうち約4000人は北コーカサス出身のチェチェン人だという。13年4月15日のボストンマラソン爆弾テロ犯もチェチェン人兄弟によるものだった。

要注意人物ブラックリスト〈Fiche S〉
 司法・警察関係者には一目でわかる暗号〈Fiche S〉とは、国家の治安にとって脅威となる人物をリストしたもので、〈S〉は治安を意味し〈S1〉から〈S16〉までの要注意度を示す。2015年、イラクやシリアから帰国したジハーディストのうち140人は〈S14〉にリストアップされた。16年には2万人が〈Fiche S〉に指定され、そのうちの1万2千人がイスラム過激派とされている。ただし〈Fiche S〉は該当人物の監視を強化するかどうかの基準にすぎず、1年間何も起きていなければブラックリストから抹消される。2015年、工場長を斬首したテロリスト、サルヒは〈Fiche S〉に載ったが2年後には抹消されていた。
 ISによるテロ戦略は、以前のように大規模な計画を立ててなされるテロではなく、今回のナイフによる単独テロ、メディアのいう「ローコスト・テロ」をいつでも、どこでも個人テロリストが「アッラー、アクバ」と唱えては衝動的におこせる危険性を示している。したがって警備態勢はますます難しくなっている。こうしたなかで極右FNマリーヌ・ルペン党首などは「Fiche S を活用しテロの時限爆弾を抑止できないのなら、〈Fiche S〉は何のためにあるのか」と政府を批判する。