2月16日、3カ月以来、全国で恒例になっているジレ・ジョーヌ(黄色いベスト)運動の最中、14区のモンパルナス界隈で哲学家でアカデミーフランセーズ会員、フィンケルクロート氏が義母に付き添って歩いているところを、彼に向かって「畜生、うせろ!シオニスト野郎」「死ね」「破廉恥な人種め」「テルアビブに帰れ!」と聞くに堪えない罵倒が浴びせられ、「フランスの人民は俺たちなんだ」と叫ぶ声も通り過ぎる。暴言を吐いた1人は、ミュルーズ出身の軽犯罪暦のあるイスラム過激派に改宗したサラフィスト。
ユダヤ人ヘイトの罵詈雑言を浴びせられた哲学者がフランス文化の頂点に君臨するだけに、このユダヤ人排斥場面は人権・平等の国フランスに泥を塗るものとなった。市民はあまりのショックに19日、全国10都市の広場に集まり、パリではレピュブリック広場に各政党議員、閣僚を始め約2万人の市民が「もうたくさん! ça suffit! STOP!」と書いたプラカードを掲げて集まった。この日、マクロン大統領は、96の墓石にナチスのハーケンクロイツが落書きされ、ユダヤ教冒涜の爪痕を残すアルザスのユダヤ人墓地を訪れた後、パリのマレ地区にあるショア(ホロコースト)記念館に赴き、祈念灯に献花した。
2月10-11日、パリ13区区役所の郵便ポストに描かれたシモーヌ・ヴェイユのポートレートにハーケンクロイツが落書きされ、フランスの歴史的人物の顔に泥を塗るアンチセミティズム(反ユダヤ人主義)行為がなされた。ジレ・ジョーヌがフランス社会を揺るがせている中で、どうして反ユダヤ人主義、反シオニズムの牙が見え隠れするのだろう?
左翼アンチセミティズムの歴史。
反ユダヤ人差別感情は中世以来、西洋社会に存在している。19世紀後半の産業革命はプロレタリア人口を増殖させていった。1844年マルクスは「独仏年誌」に発表した論文「ユダヤ人問題によせて」の中で、ユダヤ人について大胆な意見を書いている。「ユダヤ教の現世的崇拝の対象は何か。それはボロ儲けである。ユダヤ人の現世的な神とは何か。それはカネである」とまで断言している。労働者の目には、彼らを搾取し、利潤が利潤を生み肥え太る資本家たちが構成するブルジョワ階級は、憎悪の対象となっていった。その一歩先にナチズムの芽が芽生える。金権社会を形成していったユダヤ人に対する偏見は、労働者・下層階級に受け継がれているのでは。
今日のエリート階層に反発し毎週土曜日、マクロン政権に反旗をひるがえすジレ・ジョーヌの経済的絶望状況を150年前の社会状況に重ねずにはいられない。上記のフィンケルクロート氏の侮蔑・罵倒シーンやシモーヌ・ヴェイユのポートレート落書き事件はジレ・ジョーヌ運動とは結びつけられないが、何万にも及ぶ参加者の中には、極右、極左、アナーキスト、イスラム過激派も含まれている。
2006年にユダヤ人青年、アリミさん(23)がユダヤ人であるがために不良青年グループに数日拷問され殺害された理由も「彼はユダヤ人だから金もちだ」からだった。3年前に殺害されたアリミさんの記念樹を何者かが切り倒している。反ユダヤ人主義犯罪は、この2018年には541件(前年比+74%)にのぼり、2015年以来ユダヤ人であるがために11人が殺害されている。
アンチセミティズムとアンチシオニズム。
アンチセミティズムが反ユダヤ人主義だとすれば、アンチシオニズムは、1948年イスラエル建国以来、アラブ地域の中心、パレスチナに建国され振興し続けるイスラエル政権の、パレスチナ人抑圧政策に対する左翼パレスチナ運動につながる。それは反イスラエル思想となり、パレスチナ植民地化を止めないイスラエル政府弾劾運動につながっている。2012年当時のヴァルス仏首相は、「今日のアンチセミティズムはアンチシオニズムというカモフラージュの面を被る」と断言している。数世紀以来、保守カトリック層の間にも定着してきた反ユダヤ主義に、左翼・ムスリム系市民が抱く反イスラエル思想が重なり、混同をきたしている。仏国籍のムスリム系市民も共存する今日の仏社会は、60年代にはなかった多層社会になりつつあるのである。
2月20日、マクロン大統領は仏ユダヤ人代表評議会のディナーで、ツイッターやフェイスブックなどで匿名で交わされるユダヤ人ヘイト表現、言葉に対して検閲を強化していくと表明し、「反ユダヤ主義の定義を拡大し反イスラエル主義を包含させる」と、現存する国家イスラエルとの問題が絡みかねない、複雑で危険な2概念混交の演説を披露した。戦後70年、公教育が力を入れてきたホロコーストについての教育に次いで、人種差別問題と共に新たにアンチセミティズムについての教育が重視されることだろう。