1868年ジャン=バティスト・クレマンが作詞、アントワーヌ・ルナールが作曲し、元々はロマンスを歌った〈Le temps des cerises〉。
1871年3月〜6月、パリを血で覆ったパリ・コミューンが起きた。市民は血の色を6月のサクランボに例え、自由を求める歌、パリを唄う国民歌として唄い続ける。
サクランボが出てくる表現として、19世紀に〈 Avoir la cerise〉は「運がいい」を意味していたが、〈Avoir la guigne〉(ギーニュはサクランボの一品種で不運を意味する)にならって「運が悪い、ついてない」が定着。〈Se taper la cerise 〉「心ゆくまで食べる」、〈Se refaire la cerise〉「元気を取り戻す」、〈La cerise sur le gâteau〉は英語〈The cherry on the cake〉から来ており「プラスアルファ」のこと。