「La vie est plus forte que la vie 」 1981年、当時法相だったロベール・バダンテールは念願の死刑廃止法を成立させた。なによりもその功績をたたえられ、10月9日にパンテオン入り。 彼の父と叔父はナチスの強制収容所で死亡しているが、1956年、当時28歳だったバダンテールはアウシュビッツ強制収容所跡を訪れる。その入り口に咲きみだれるマルグリットの白い花に感動し、「La vie est plus forte que la vie 生は死よりも強し」とつぶやく。(真) Robert Badinter (1928-2024) ミッテラン政権で1981年から86年まで法相、86年から95年まで憲法評議会の議長を務めたロベール・バダンテールは、1928年、ロシアからフランスへ移住したユダヤ人の両親のもとパリに生まれた。父親はリヨンでナチスドイツに囚われ強制収容所で死亡。ロベールはフランス風に苗字をベルテと名乗りサヴォアに住み、シャンベリーの高校に進学。戦後、パリ大学で社会学と法学を学び1950年に弁護士となる。チャップリンの弁護をしたことなどから人気弁護士となり人脈を広げるが、その頃、のちに大統領となるフランソワ・ミッテランと知り合う。弁護士として働いていた70年代から死刑制度廃止を掲げるが、当時は死刑の犯罪抑止説が主流で、バダンテールのもとには日々脅迫状が届き、極右分子により家に爆弾を仕掛けられるなど身の危険にまで及んだが信条を曲げることはなかった。ミッテランの大統領選挙キャンペーンに参加し、同氏は公約として死刑制度廃止を掲げる。ミッテラン氏が選出され政権で法務相に就任、死刑制度廃止を成就させた。
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