モデル都市、パリ展〜オスマン県知事の都市計画〜

人口密度が欧州1位、世界5位の大都市でありながら、人々を魅了してやまない現在のパリの形は、1853年〜1870年、セーヌ県知事にオスマンが就任していなかったら存在しなかったことだろう。《Paris Haussmann Modèle de ville》展では、 過去から現在、そして未来の都市計画と、建築からパリを分析し、考察する。展示は地図や図面、模型、写真、各種データなどから構成され、一つ一つのデータをじっくり見ながら巡りたい。

1851年〜1914年の間の、5つのパリ都市図から、60年間で60%の都市網が構築された経緯がうかがえる。そこで、展示会のキュレーションを手がけた建築事務所LAN のアソシエーツ、ブノワ・ジャロンとウンベルト・ナポリターノ、建築エンジニアのフランク・ブテたちは、「今日、建築業務を実践する立場から、人々が人々のために 創出するアーティファクトに着眼し、必要なものを抽出した」とコメントした。

それには、パリを14都市の都市網と比較した。都市網のグリッドが交差する面積比、建築密度、歩行者がアクセス可能な建造物からの歩行・道路距離、サービスの密度、建造物の集合体としてのブロック密度などの項目から、パリは、マドリッドやニューヨークのように格子状のグリッド設計でないことも理由に、歩行距離400m圏内に、医療、教育、商業などの日常生活に不可欠なサービスが提供されていることがうかがえる。それは、各区や界隈に中心が分散されていることでもある。

また、当時、投資家が建物を建てる際、地上階を商業空間、上層階をアパートにしてそれらの家賃を回収することで、借金を返済した。事業主の観点からも考え抜かれていた。さらに、室内には東西からの採光、3mの天井高は熱質量と対流にも効果的で快適な室温を保つためであること。おそらく、パリが位置する緯度からも計算されたのだろうが、垂直型の窓は、水平型よりも採光率を45%上回る。光が届きにくい中庭側に浴室や階段を設計し、建物と建築の壁を共有することで道路面に重圧感を消す。 地上階と1階の中間階を設けることで、商業に合わせた空間の拡大や縮小を可能にさせている。こうした一貫した統一感は、現在でも、設計者の作業を機能的にさせる一方で、 公共・民間の用途に適した改修工事を容易にさせ、実用的な多様性にも応えている。

また、建物のタイポロジーにも着眼したい。道路や広場に並列するか囲むかによって、3〜6面体の建築集合体のブロックが分析され、数量分布を一定圏内で測定したデータをポスターにした表現は、グラフィックとしても圧巻だ。そして、それらが組み合わさり、ファサードのオーナメントが社会階級に応じて表現され、市民のアイデンティティーにもつながっていく。

追記する必要もないが、パリ近郊から採石された石材で建立された建造物は、まさに地場産であり、都市の永遠の象徴でもある。「明日の建築も、やはり持続性に投資すべきである」と断言するキュレーターたちも、建築基準や法規が牛耳る時代ではなく、「空洞と建築された密の価値により、建物やそれらの集合体に可逆性をもたらしてもいいのではないか。多孔性に着眼して、空洞を取り入れる設計に着眼していくべきなのではないか。取り組む課題は大きい」と語った。

(取材・文 浦田薫)

 

 

 

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