アンリ・チェルヌスキ-非凡な人生とコレクション。

ブロンズの動物像が置かれた階段の吹き抜けホール © Pierre Antoine / musée Cernuschi .

 モンソー公園に接し、瀟洒な邸宅が並ぶ並木道の奥に、パリでギメ美術館に次いで重要な東洋美術コレクションをもつ美術館がある。「チェルヌスキ」という名前が示すとおり、コレクションと邸宅をパリ市に遺贈した蒐集家はイタリア生まれ(1821-96)。母国で1848-49年の革命(ミラノの蜂起、ローマ共和国)に参加するが、敗れてフランスに亡命した共和主義者である。 第二帝政下のパリで銀行家として成功した彼は、資産を成し、経済理論の本も書いた。しかし、共和主義派の有力者としてナポレオン三世に追放され、スイスに亡命…そのとき普仏戦争が勃発して、帝政が崩壊する。同志ガンベッタに呼び戻されたチェルヌスキは1870年9月、フランス第三共和政樹立宣言の場に居合わせた。

アンリ(エンリコ)・チェルヌスキの肖像。「セルヌシ」とフンス語式に発音されることもあるチェルヌスキは、1871年にフランスに帰化。コレクションや東洋の旅について本人は何も書き残していないため、テオドール・デュレなど彼に近かった人の記述が研究された。©Roger Viollet

 翌年春、プロシアに降参した政府に対してパリ市民が蜂起し、パリ・コミューンが発足するが、2カ月余で政府軍に弾圧された。この政変で親友を殺され、自らも危うく処刑を免れたチェルヌスキは、若い友人テオドール・デュレと共に世界一周の旅に出る。デュレは、印象派とジャポニスムの普及に貢献した美術評論家だ。

 1871年の10月末、大西洋とアメリカ、太平洋を横断した二人は横浜に上陸。東海道を通って首都に入ると早速、美術品・工芸品を買い始めた。明治維新直後の日本社会は廃藩置県、廃仏毀釈など大変革のただ中。電信が開通し、日刊紙が登場した文明開化の時代である。デュレは主に画本と版画を探し求め、チェルヌスキはブロンズ製品を集めた(約2千点)。「ブロンズに注目したのは複本位制を主張した彼の経済論と関係があるのでは?」と学芸員のマヌエラ・モスカティエッロさんは言う。

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Musée Cernuschi

Adresse : 7 av. Vélasquez, 75008 Paris
TEL : 10h-18h 月休 (1/1,12/25休) 特別展9€/7€
アクセス : M°Villiers
URL : www.cernuschi.paris.fr
12月10日から14日まで、作品替えの ため休館。2019年4月から数カ月間 リニューアルのため休館。2020年 始め再オープン。