『淵に立つ』(仏題 HARMONIUM) 深田晃司監督インタビュー

孤独は関係性の先にある。

 町工場を営む夫婦の利雄(古館寛治)と章江(筒井真理子)、小学生の娘が暮らす平凡な一家。そこに利雄の知り合いで、刑期を終え出所したばかりのワケあり男・八坂(浅野忠信)が、彼らの生活に入り込む。闖入者の登場は、平穏に見えた家族に残酷な傷跡を残す。

 身近な家族の風景から出発し、不穏な胸騒ぎを覚えるサスペンスを経由し、やがて思いもかけぬ地点まで観客を導く。人間の孤独を決然たる視線で凝視する本作は、観客の心までもしっかり「淵に立たせる」。

 日本人の新しい才能が正式招待作品として入り込むのが至難のカンヌ映画祭。ここに初参加にして「ある視点」部門の審査員賞を鮮やかに手中におさめた俊英・深田晃司監督に話を伺った。

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– 10年前に誕生した企画と聞くが、作品のどの要素に惹かれ企画を手放さずにいたのか。

 描きたかったのは家族をベースにした個人の孤独や、コミュニケーションの難しさ。普遍的な内容なので、しぶとく機会があったら作ろうと思っていた。人間の本質的な孤独を描く時、一人ぽつんといる姿を描けばよいわけではない。やはり孤独は関係性の先にある。社会的状況の中で孤独を描けば、日本だと家族の存在は避けて通れない。他の国でも重要なモチーフだが、日本は旧態依然とした伝統的な家族制度が残る。良くも悪くも政府与党は伝統的な家族制度を維持しようとし、同性婚も夫婦別姓も認められていない。日本をベースに孤独を描けば家族は大きな要素として浮上する。

– カンヌでの印象的な反応は。

 家族を扱うことに対して、いろんな角度から意見がきた。是枝監督や河瀬監督など、カンヌにくる日本人監督の作品は家族が大きなテーマになるが、彼らにくらべ家族に対する辛辣な視点があると言われた。ヨーロッパだと夫婦や恋人などカップルや個人のドラマになるが、なぜ日本は家族なのかとも聞かれた。また単純に俳優が褒められたことは嬉しかった。

– 壇上で監督も「日本の最高の演技」と語っていたが、実際、浅野さん、古舘さん、筒井さんの演技のアンサンブルは見事だ。

カンヌで記者の質問に答える監督とキャスト。左から筒井真理子さん、深田監督、古館寛治さん、浅野忠信さん

 外国の記者から「過剰でもなく不足もないバランス良い芝居」と喜んでもらえた。今回は古舘さんと筒井さんを先に決め、八坂を誰にするかで浅野さんが後から入った。浅野さんとは八坂の役を「悪のヒーロー」にしてはいけないと話し合った。「羊たちの沈黙」のレクター博士のような圧倒的な悪でなく、人間の両義性・多義性の中で、何かのきっかけで悪の行動をする人物だと。優しい笑顔と凄みを合わせ持つ彼の俳優としての個性は面白いと思った。

– 今回の監督としての挑戦は。

 俳優の芝居のアンサンブルを、これまで以上にがっつり腰を据えてやった。撮影日数は19日と、これまでの二倍。また古館さんを「受け」の芝居で見せたいと考えた。(これまでの)「変なおじさん」ではない彼を見たかったのだ。

– 家族ドラマや心理サスペンスを経由し、親子の犠牲という神話的な世界観まで手に入れていると感じたが。

 神話的というのは意外だが、あるヨーロッパの映画祭のディレクターからも、「深田がついにギリシャ神話を撮った!」と言われた。でも狙ったわけではない。

– 絵を描くのが趣味の八坂の息子が出てきて、「観察すると見えてくるものや視点が変わる」と語っていた。監督にとっても映画を撮る行為はそのような意識に近いのか。

 あれは率直に僕にとっての映画作りが素直に反映された台詞。絵画で絵を描くためにじっとモチーフを見つめることと、世界に対してカメラを向けてレンズをのぞきこむ作業は、そんなに変わらないのでは。普段何気なく生きていれば世界はこのままのように見えるが、意識的に見ることで変わってくる世界の見方というのがある。それはある意味で芸術の大きな役割、そんな気持ちも込めた。


本作は第11回KINOTAYO現代日本映画祭のオープニング作品として上映された後、1月11日から満を持してフランス全土で劇場公開される。(聞き手:瑞)

背後から八坂(浅野忠信)に覗かれる深田晃司監督

ともに「ある視点」部門で受賞を果たした深田晃司監督(左)と、「レッドタートル ある島の物語」のマイケル・デュドク・ドゥ・ビット監督