『Délices de Tokyo -あん-』原作者、ドリアン助川さん。

昨年、カンヌ映画祭「ある視点部門」のオープニング作品として上映され、一般公開後は各国で話題を呼んだ河瀬直美監督による映画、『Delices de Tokyo -あん-』。この原作者であり、パリ日本文化会館での講演を控えたドリアン助川さんに話を聞いてみた。

Mr.Durian Sukegawa's photo
物語はどのようにできあがったのですか?

 
 90年代、ボクは「叫ぶ詩人の会」という一風変わったバンドのヴォーカルをやっていました。同時に、ラジオの深夜放送のパーソナリティとして、全国の中高生たちの悩みを聞く番組もやっていました。そこで気になったのが、「世の中のためになる人物になりたい。社会に役立たないと生きている意味がない」という声を多くのリスナーからもらったことです。若者の価値観として、一見まともなようにも思えますが、人中9人までが同じことを言い出したとき、ちょっとこれは怖いな、とも感じたのです。

 
 世の中、社会というものはいとも簡単に変わっていきます。極端なことを言えば、戦時中の我が国は、国のために死ぬことが青年たちの正義でした。また、ボクはニューヨークに住んでいたときに同時多発テロを経験し、米国がイラク戦争に向けてどんなふうに変わっていったかを身をもって知っています。社会は変容する。その不安定な世界に、人生の価値観を判断なしで丸投げするような生き方は危険ではないかと感じたのです。
 
 もうひとつは、社会の役に立つとか立たないとか、そういう偏狭な意味を越えて、ボクらは生を受けたのではないか、という予感が当時からあったのです。1996年に「らい予防法」が廃止され、ハンセン病(らい病)の診断を受けた元患者さんたちがどんな人生を強いられてきたのか、メディアが明らかにし始めました。病気が治っても、一生療養所の外には出られない悪法。何十年も囲いの外に出られずに歳をとってしまったみなさんに対し、社会の役に立つ、立たない」といった定規をあてがって人生を語ることはできません。
 
 ハンセン病に限った話ではなく、人は逆境や不運のなかで、のたうちまわるような日々を送ることもあるでしょう。みじめな環境で、何のために生まれてきたのかわからなくなるような迷路に陥ることもあると思われます。しかし、ボクはどんな人間にもこの世に生まれてきた意味はあると考えます。
 
 1996年、ボクはその頃代半ばになろうとしていましたが、夜空に向かって誓いました。いつの日か必ず、役に立つとか立たないとかではなく、もっと大きな次元での「人の生まれてきた意味」「人生をやり遂げることの意味」を書こうと。そのためには、ハンセン病を患ったことで逆境を歩むことになった人物を主人公にするべきだと考えたのです。
またこれは同時に、いつかそのような物語を書いて、苦しみのなかにあったみなさんに少しは楽になってもらいたいという、義憤のようなものから生まれた動機でもありました。
 

1996年というと約20年前になりますが、本が出版されるまでの時間、そして「あん」という作品への思いは何でしょうか?

 
 こんなにも時間がかかってしまったのは、作品を書こうという気持ちこそあれ、何をどう学んでいいのか、道筋がまったく見えなかったからです。身内や関係者にはハンセン病患者はいませんし、ボク自身、医療に明るいわけではありません。そんな人間が、ハンセン病の世界に手を出して、誰も傷つけずに長編小説を仕上げるなど、ほとんど不可能に近いことだと思えたのです。
 
 やることと言えば、患者さんたちが書かれた手記を読むだけ。それがすべて壮絶な内容で、読む度に心が火傷したようになるのです。書くことを決めた時からラストシーンの木が語りかけてくる、というイメージはあったのですが、どうやってもそこまでの道のりが見えてきませんでした。
 
 結局、元患者さんが自分のライブに来て下さり、そこから親交が生まれて書くきっかけをいただくのですが、それまでは宿題としてずーっと胸のなかで温めてきたとしか言いようがありません。捨てずに来た。ただそれだけが、自分で自分をほめられる唯一のことです。
 
主題となる「あん=どらやき」は、どこからきた発想でしたか?
 
 ハンセン病患者を主人公にして、新たに生きる意味を問い直す作品を書くその思いが具体的に動き出したのは、やはり元患者の方と出会い、療養所に遊びに行くようになってからです。その頃、ボクは仕事の無理がたたり、甲状腺を壊していたのです。医師から一年間酒をとめられ、反動で甘いものが好きになってしまいました。2007年のことです。それまでは甘いものが世の中にあることの意味すらわからなかったのに、各国のお菓子の歴史まで調べ始めたのです。そこで、パティシェの小説を書こうと思い、だったら・・・えーい、面倒だ、まず自分がパティシェになってしまおうと、世田谷の製菓学校に入学したのです。

 

実際に製菓学校で学んだのですか?

 
 通信のコースでしたが、スクーリングがむちゃくちゃ多くて、実習の連続でした。洋菓子科なのに、一年目は和菓子もパンも作るのです。そこで、あんは毎日のように炊きました。また、二年生になるときの試験で、ボクは「どら焼き」を選んだのです。この経験があったので、元患者さんから療養所内に「製菓部」があったと聞かされた時、瞬時にして道が開けたような思いがしました。初めて、書けると思ったのです。「どら焼き」はあんを炊くのも、皮を焼くのも技術がいります。それだけに、人間ドラマをそこに重ねられるような気がしたのです。

 
だから物語のリアルさが現れているのですね。現在世界各国で翻訳されはじめていますがどの様な気持ちでしょうか?
 
 どら焼きにしろ、ハンセン病患者の隔離問題にしろ、きわめてドメスティックな内容が背景になっていますから、海外のみなさんにどう受け止められるのだろうというのが、映画化された頃からの不安でした。しかし、やはりこの物語の芯は、「人はなんのために生まれたきたのか」「人生をやりきるとはどういうことなのか」といったあたりにあると思っています。いわば、普遍的なテーマへの普遍的なアプローチなのです。東洋的なものが好きだという人もいるでしょうが、プラスその部分が受け入れられているのだとしたら、率直に嬉しいです。

 

フランスで講演やコンサートをすることに対してはどんなお気持ちでしょうか?

 
 国の内外を問わず、常にそうなのですが、講演も公演も、何かをぶつけにきたのではなく、友達ができればいいなという、わりと平身低頭な感じでこなしています。顔の割に腰が低いのです。ましてや、フランス語がまっとうに喋れるわけではありませんし、『あん』に秘めた心をわかっていただくにはどうしたらいいのだろうと頭を抱えている部分もあります。どうしよう。とりあえず、笑顔だけは失わないようにしようとは思っていますが。あ、そうそう。十勝の小豆と桜の塩漬けを持ってきていますので、『あん』に登場する千太郎の夢の「塩どら焼き」を作ってしんぜましょう。多磨全生園でつくられた「ぜんざい」と「おしるこ」のレトルトも持ってきています。映画のなかで千太郎と徳江が見つめ合って泣くシーンがありますね。あの店のなかで作られた「ぜんざい」と「おしるこ」です。

 
ドリアンさんによるどらやきを食べられるのですね。おいしいどらやきの作り方も是非教えて下さい。
 
06/24(金)19h30-
ドリアン助川朗読とサイン会
+Kyコンサート
 ウード:Yann Pittard
 サクソフォン:仲野麻紀
中川 Nakagawa : 3 rue Saint Hubert 11e M°Rue St-Maur
入場無料、軽食可
 
06/25(土)15h-
講演会
パリ日本文化会館 :101 bis Quai Branly 15e  M°Bir-Hakeim  無料
 
06/26(日)15h30-
– Tokyo Café – 朗読+コンサート+子どもどらやき教室!
Pocket Café : 12 rue Léon Loiseau 93100 Montreuil  無料
 
⚫︎パリJUNKUDO書店(日本語・仏語版とも好評販売中!)
18 rue des Pyramides 1er
Tél : 01 42 60 89 12