マダム・キミのシルバーラウンジ:7月1日号

N子さん(60代後半)はミッション系学校のあと、大学は仏語科卒。外資系会社に勤務。当時勤務関係で出会ったフランス人のM氏の帰国に合わせ渡仏し結婚する。息子2人。ご主人は数年前に病死、今は南仏の町で週に1回は孫2人の面倒をみながら翻訳の仕事などをしている。

ご夫婦で長い間、海外の教育関係のお仕事を続けてこられたようですが、ご主人が亡くなるまでの外国生活の経緯をお話し下さい。
最初は香港のフランス人学校の校長として赴任。長男は2歳半でした。6年いる間に新校舎の建設後、正式に幼稚園から高校まで一貫したフランス教育の場を実現。そのあとはアメリカに赴任後、南仏に戻りましたが、またアメリカへと、大使館勤務はだいたい3年交替ですが、海外の教育関係者は6年です。子供らも6年おきに新しい環境に転居し、世話がかからなくなった頃から私は学校の事務の仕事につきました。

お子さんは仏・英語バイリンガルですが日本語はどうなさいましたか?
2人とも3歳くらいまでは日本語の単語を教えたり絵本を読んでやったりしましたが、学年が上がるにつれ彼らの意識に日本語が入り込む余地がなくなりました。仏英語での態度や習慣が身についてしまったためか、日本人学校での規律や日本語に伴う慣習にはなかなかなじめなかったようです。家でたまに使う日本語はゲームや遊びのための日本語です。
海外で触れ合うフランス人はだいたい銀行関係や国際機関勤務、外交官が多いのですが、彼らと私たちの共通点は、外国で子供たちにフランスの教育を受けさせていることです。逆にフランスに戻ってから、自分の中に育っていた国際性というものが仏社会とはすこしずれていることを痛感しました。海外では色々な階層の人との付き合いが多く、自分を見失わないように、自分のペースを守ってゆく必要がありました。子供たちも英語をマスターするばかりでなく、様々な国の子弟たちと共に学ぶ機会ができ、グローバルな視点が育ったかと思います。アメリカは国内に病んだ部分を抱えてはいますが、色々勉強になる刺激の多い国です。家族の一部がすっかりアメリカ人として根を下ろしてしまっているフランス人も多いです。