カメレオンのような作家。

Aladin, 2010 Collection particulière  (c)Gerhard RIchter
Aladin, 2010 Collection particulière (c)Gerhard RIchter
 誰に送ってもよい、当たり障りのない絵葉書を買うことがある。ドイツの美術館で購入した、若い女が新聞を読んでいる絵葉書もその一つだった。写真だと思っていたが、ポンピドゥ・センターで開催中のドイツの現代作家、ゲルハルト・リヒター(1932-)の回顧展で本物を見て、油彩だと気づいた。
 それほど写真そっくりに描ける技術の持ち主である。では、なぜ写真ではなくて絵なのか?  彼の本質はどこにあるのか?
 リヒターは旧東ドイツのドレスデンで生まれ、ベリンの壁ができた年、東西ドイツの往来が禁じられる前に、旧西ドイツのデュッセルドルフに逃れた。そこで雑誌の写真を基にして、輪郭がぼけた写真のような作品を描き始め、注目された。
 当時は「ドイツのポップアート作家」と自称していた。これはうさん臭い。アメリカで始まったポップアートの流行を受けて、時代にこびていたのではないかという疑問が湧く。マルセル・デュシャンの有名な『階段を降りる裸体』をもじった具象画では、コンセプトだけが前面に出ている。この路線を行ったら、退屈な画家になっていただろうが、リヒターは、これらの写真画となんの関係もなく、抽象画も制作している。何層にも塗った絵具がところどころでめくれて下の層の色が出る、リヒター独自の技術だ。色の錬金術とでも呼びたい夢のような美しい作品をいったいどうやって制作したのか、知りたくなる。
 このタイプの抽象が続くのかと思ったら、それとはなんの脈絡もなく、単一色の長方形や縞を並べた幾何学抽象の油彩が現れる。そしてぼけた写真のような具象画が再び現れる。衣服の細部まで描いた緻密さは感嘆に値する。
 異なる作風の壁を卓越した技術力でひょいと越えてしまう、カメレオンのような作家である。しかし、上手いだけに、哲学がないと上滑りになる。ルモンド紙のインタビューを読んだが、独自の哲学は感じられなかった。絵を写真より上に位置づけており、自分は画家だから、写真ではなく絵を描くのだと言う。
 力量はあるが、彼の本質の真ん中はぽっかり空いている。リヒターは芸術家としてどうなのか。その疑問が残る展覧会だった。(羽)
ポンピドゥ・センター:9月24日迄。火休。

"Gerhard Richter Panorama"