Anna Karina 俳優 コペンハーゲンからパリへ。17歳だった。

 『気狂いピエロ』、『女は女である』など、ヌーヴェルヴァーグのミューズとして、そして今でも熱狂的な人気を誇る、アンナ・カリーナさん。
 生まれ育ったコペンハーゲンで、早くからエレベーター係やキャバレーの歌手として生計を立てていた。義父との折り合いが悪く、故郷を後にしたのは17歳の冬。小さなカバン一つ持って、片言のフランス語でたどり着いた先は、シャンゼリゼ界隈のデンマークの教会だった。牧師さんにマレ地区の女中部屋を見つけてもらい、自ら描いたデッサンを売って、その日暮らしを始める。
 そんなある日、サンジェルマン・デ・プレにやってきたアンナさん。なけなしのお金をはたいて、〈ドゥ・マゴ〉のテラスに座っていたところ…幸運の女神が微笑んだ。声かけられて撮られた写真が、〈エル〉の表紙を飾る。招かれた編集室にいたのは、とびきりエレガントな女性。「あなたの名は?」、「ハンヌ・カレン・ブレーク・ベイヤーです」、「それはよくない! 今日からあなたはアンナ・カリーナよ」。それがココ・シャネルとの出会いだった。それからの彼女に残されていたのは、フランス語の猛レッスン。「オデオンの映画館で、朝から晩まで何度も同じ映画を見たわ。終わるころには、ジャン・ギャバンの「Salut Ma vieille!」と、ジェラール・フィリップの「Bonsoir Madame」が、同じ意味だと分かったのよ」
 あれから半世紀近い時を経て、この界隈は大きく姿を変えた。今は観光客でにぎわう街になったけれど、「60年代の面影は健在よ。ここでは皆が仲間で、今でもプチット・アンナと呼ばれているわ。もうプチットでもないのにね」と微笑む。馴染みの店が次々と姿を消したセーヌ通りだが、スーパーの〈シャンピオン〉で働くブリジットとは、大の仲良しだ。
 50年近いキャリアで、約75本の映画に出演した。数ある思い出の中でも、『はなればなれに』のルーヴル美術館を駆け抜けるシーンは、今でも頭をよぎる。撮影時間はわずか3分間、リハーサルなしの、ぶっつけ本番。警備員の目を盗んでの撮影は、いまや伝説となっている。
 昨年閉館した、シャイヨー宮の旧シネマテークには、ゴダールと足繁く通った。閉館の夜、歌手のフィリップ・カトリーヌと飛び込みでコンサートを行った。「映画のヌーヴェルヴァーグ時代を経て、いま新たな“歌”のヌーヴェルヴァーグに参加している。二つのヌーヴェルヴァーグを体験できたことが、私にとっては何よりの宝よ」(咲)

●Old Navy
 彼女が17歳から通うこの店は、常連客が集う定食屋風。「ここのフリットは本物よ!」という昼定食は11.15eで、前菜+メインかメイン+デザートの選択。週末には、サルサなど生演奏のイベントも。

150 bd Saint-Germain 6e 01.4326.8809 24時間営業


小さいながらも わが家。

ある日、外に出てみると家の前に小さなテントが…と、とまどったパリ市民も多かったとか。例年にない寒波で、ホームレスの凍死が懸念され始めたころ、「メドサン・デュ・モンド(世界の医師団)」が12月21日から、パリで250個のテントをホームレスに配った。朝になると施設から追い出される、相棒の犬を連れて行けないなどの理由で厳冬でも路上生活をするホームレスに仮のすみかを提供するとともに、社会住宅やホームレス長期収容施設の圧倒的な不足を政府に訴えるためだという。INSEEによると、ホームレスは全国で86,000人以上いる。テントを見て、路上生活者がそんなにいたの? とショックを受けたパリ市民だが、そろそろこのテント、パリの風景になじんできたかもしれない。(し)