ノルマンディーの作家と食 〈21〉

 フロベールの『ボヴァリー夫人』(1857年)を読めば、当時の地方で暮らすフランス女性の心情が手に取るように分かってしまう。ノルマンディー地方の修道院で少女時代を送ったヒロインのエマは、漠然と「富」や「名声」に憧れて、パリの社交界に夢をはせる。そんな彼女にとって忘れられない思い出となったのが、とある侯爵から招待を受けて出かけていった館での一夜のこと。イタリア風の豪奢な館で、彼女はそれまで物語の中でしかお目にかかったことのなかった贅沢な空気に触れることになる。大理石のしきつめられた玄関、高い天井、立派な肖像画、美しく着飾った男女たち。招待客の中には、若かりし頃はマリー・アントワネットの恋人だったと噂されている老侯爵も!

 7時から始まった晩餐もまた、エマがそれまで体験してきたものとは一線を画するものだった。「いせえびの赤い脚は皿からはみ出し、透かし細工の籠にもった大きな果実が苔の上に段をつくり、鶉(うずら)は羽毛つきのまま湯気をたてていた。」(生島遼一訳) ザクロやパイナップルなどの珍しい果物も、この時に初めて口にした。

 ダンスが始まると、エマは何かにつけて不器用な夫シャルルには踊ることを禁じる。そして、自らは誘われるままにワルツを踊った。そんなエマの頭には、農場主の父親や自らの地味な過去が頭を一瞬よぎったものの、それらはまるで幻影のように遠のいていった。

 ところで、ここでエマは「コップのなかに手袋を入れないでいるひとが少なくないのに気がついた」とある。グラスに手袋を入れるのは、1830年代のパリの社交界でワインを断るサインとして通っていたものの、小説が書かれた頃にはすたれていた風習だった。フロベールは、こんな細かいところでも、時代に一足遅れている田舎の風景をしっかりと描いている。(さ)