どこかランボーの彼方へ  ー  Somewhere over the Rimbaud

Brigitte Fontaine “Chute et Ravissement” (Actes Sud刊 2017年5月、36ぺージ、8€)

米国の女流ロッカー/詩人のパティ・スミスが、この3月に北フランス、アルデンヌ地方にある詩人アルチュール・ランボーの母が持っていた農家(その中で少年詩人が「谷間に眠る者」や「酔いどれ船」を書いたと言われる)を買い取ったという。崇拝的なランボー愛。ジム・モリソン、カート・コバーンなどランボーの詩に心酔した音楽アーチストは枚挙にいとまがないし、日本にもフランスにも数知れない。私のような昭和の世代は、少年の頃に熱病のようにその詩にとりつかれたものだが、おそらくその病に似た憧憬は一生消えない。この6月24日に78歳になったブリジット・フォンテーヌは、一生消えないランボーとの関わりを、30数ページの小さな本に著し、5月にアクト・シュッド社から刊行した。題して『転落と歓喜(Chute et ravissement)』。

ブリジット・フォンテーヌもまた日本の昭和世代の一部に熱く評価された稀なフランス人アーティストであり、とりわけ1969年発表のアルバム『ラジオのように』の知名度は群を抜いている。演劇、シャンソン、フリー・ジャズ、北アフリカ音楽などにまたがる前衛的な小劇場パフォーマンスから出た自作自演歌手、女優、戯曲家、作家、詩人としてアンダーグラウンドの世界で活躍していたが、80年代の長い沈黙の後、90年代にはエティエンヌ・ダオなどの後押しでメジャー会社からアルバムが出るようになり、テレビにも顔の出るセレブリテとなった。そのメジャー浮上のきっかけを作ったのが、私の郷里の先輩であり在仏ジャーナリストだった木立玲子さん(1953-2006)で、88年、全く作品を出せない状態だったフォンテーヌを日本に連れ出し一連のコンサートを開き、その勢いで日本出資でアルバム『フレンチ・コラソン』を制作させたのだった。

2000年代にゴールドディスクを獲得するメジャーなアーチストになっても、その前衛性と突飛さは変わらず、稀に出演するテレビのトークショーでの「狂女」の振る舞いにも似た場違いさは永遠のフォンテーヌである。”Je suis inadaptée(私は順応性ゼロ)”と68年に歌って以来、何も変わっていない。しかし2016年フォンテーヌは事故に遭い脊椎を傷めて床に伏し、予定されていたコンサートをすべて中止して闘病生活に入った。一時は死亡説も流れた。その数カ月間に老女はこの短い本を書き上げたのだ。戯曲、小説、随筆、詩集などすでに20数冊を発表しているフォンテーヌにあっても特異な最新著である。彼女の詩聖中の詩聖アルチュール・ランボーへの私信、返事のないダイアローグ。

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